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大阪家庭裁判所堺支部 昭和61年(少ハ)2号 決定

少年 M・Z(昭41.9.30生)

主文

本人を昭和62年4月25日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

(申請の理由)

本人は、昭和60年12月26日大阪家庭裁判所堺支部で中等少年院送致決定を受けて、同月27日浪速少年院に入院し、昭和61年1月8日少年院法11条1項但書により収容継続決定をした期日である昭和61年12月25日をもつて同決定による収容期間が満了となるものである。

本人は入院以来大きな問題行動や反則は見られなかつたものの、消極的、無気力で覇気に欠け、自信をもつて自分の意見を主張し、行動することのできない生活を続けていた。上級生になつても本人のそのような基本的な態度には変わりがなく、積極的、意欲的な行動がなかなかとれず、障害場面では感情のコントロールができずに自分の考えに固執する面も散見された。それに対して、昭和61年5月9日から同月15日まで、及び同月29日から6月10日までの2度にわたつて特別処遇(昼夜間単独処遇)を行い、課題作文、内省指導等を通じて本人の問題点、改善点への自覚を促した。その後、ある程度の矯正効果が認められ、積極的、意欲的な行動が徐々にとれるようにはなつているものの、一度挫折すると連続的に生活のペースを見失つてしまう弱さが残つており、出院後においても現在と同様な態度がとれるのかどうかには若干不安がある。

本人に対しては、

ア  何事も積極的に取組む態度を身につける。

イ  はきはきと自分の意見を述べる態度を身につける。

ウ  板金の資格、枝術の取得に励み、健全な職業人としての態度を身につける。

の3項目を個別的処遇計画における教育目標として教育、処遇を行つてきた。

しかし、前述したように、本人の消極的で覇気に欠ける生活態度は真に改善されたとは認めがたく、本人の性格特性を考えると、このまま規制の緩む収容期間満了による退院には不安を感じざるを得ない。その意味でも、本人に対しては出院後においても指導、監督を行うなんらかの社会内処遇が必要である。

一方、浪速少年院の教育課程履修の面でも、成積が今一歩であるため、本人の収容の終期である昭和61年12月25日までには課程のすべてを終了する見込みはなく、このまま順調に成積が推移したとしても、処遇の最高段階である1級上への進級が同年12月上旬であり、その後もなお、2か月程度の出院準備教育期間を要するため、出院の時期は概ね昭和62年1月下旬ころが見込まれる現状である。

本人の実父母は本人が3才の時に離婚した。本人は実父に引取られたが義母と折合いが悪く、小学校3年ころに実母、義父に引取られた。しかし、昭和57年に実母が死亡し、翌58年に義父が蒸発した。実父、実兄が神戸市に在住しているらしいが者信はなく、現在は保護者がいない状況である。ところが、幸い、大阪府下の保護会「○○療」には受入れ可能となつており、本人の資質、環境を考えると、現状においては保護会に帰住し、その指導の下で社会生活への復帰を目指すことが本人にとつては最もよい方法であると思われる。

ところで、本人の出院が収容期間満了による退院となつた場合、保護観察に付されていないため、保護会への帰住は困難となり、本人は適当な帰住先及び引受人がない状態で出院後の社会生活を送つていかなければならなくなる。このような事態の招来は、折角の矯正教育の効果を減殺させるだけでなく、本人の更生と社会復帰への大きな障害になるといわざるを得ない。

以上のような保護環境上の事情からも、本人の場合、相応の期間、収容を継続し、社会内処遇への円滑な移行のための適当な保護観察期間を確保する必要がある。その際、保護会の指導下で健全な社会生活への定着を図り、その効果を上げるためには少なくとも3か月程度の保護観察期間が必要である。

上述の諸事情を考慮すると、少年院法11条1項但書に基づく収容期間満了後もなお1か月程度の収容教育の期間を要し、これに続く出院後の保護観察期間3か月を見込むと、4か月程度の収容期間(満了日昭和62年4月25日)が必要である。

(当裁判所の判断)

1  本人の父母は本人の幼時離婚し、母が本人を引取るも、他人に預けて所在も分らなくなるほど全く無責任な養育態度をとり、母の再婚相手である本人の養父も本人に冷たく、本人は幼時から全くと言つてよい程家庭的雰囲気を知らないまま生育した。中学卒業後就職したが間もなく退職して無為徒食の生活を続け、不良仲間と遊び廻つている際暴力団の組員らしき年上の男に誘われてガソリンスタンドへの侵入盗を繰り返して保護観察決定を受けた。ところが、母が急死し、程なく養父も家出、行方不明となつて家庭は完全に崩壊し、本人は生活の基盤を失つて徒遊生活を続け、単車の窃盗と無免許運転で昭和58年5月17日当庁で中等少年院送致の決定を受け、播磨少年院に収容された。同少年院において、入院当初は生活に対し投げやり的傾向があつたが、指導を通し、生活にも積極的に取組もうとする努力がなされ、集会、役割活動では協調性、共感性を身につけるとともに、相手の立場を汲んだ言動がとれるようになり、働くことの意義、大切さを知ることにより根気強く働く習慣が身についたとみられた。

昭和58年10月18日仮退院後更生保護会○○寮に帰住したが、その日に同寮を出て友人宅を泊まり歩いたり、寝泊まり用として自動車の窃取を反復して家庭裁判所調査官の試験観察に付され、○○会に補導を委託された。この試験観察は成績良好で不処分となり、名古屋の鉄工所に住込就職したが、同鉄工所を1か月程で退職し帰阪、友人の父の営むブロック工事業に住込就労した。ここでも仕事は真面目にやつていたが、シンナー窃盗、吸引で在宅試験観察に付されたり、原動機付自転車の無免許運転で観護措置決定を受けたりした後、シンナー吸引目的の住居侵入事件で試験観察、補導委託(堺市内の○○溶接工業所)中自動車窃盗事件を惹起して、昭和60年12月26日再び当庁で中等少年院送致決定を受け、浪速少年院に収容されたものである。

2  浪速少年院における本人の生活態度は、ふざけた言動が目について2回(昭和61年5月と同年6月)単独寮での内省を科せられたが、大きな事故は起こしていない。昭和61年6月以降は比較的平静な状態が続いているが、生活に波があり、ひとつ躓くとなかなか立直れないという傾向がある。役割活動において、むくれたり落ち込んだりすることもあり、感情統制は未だ不十分である。職業訓練(板金料)は割合頑張つているが、総じて矯正教育を完遂できたとは言い難い状態である。

したがつて、今後本人については、多少の挫折があつても連続的に生活のペースを見失うことなく、感情統制の効いた性格への矯正が課題として残されており、このまま少年院を出て規制が解かれると、些細なことに挫折して再び非行に陥つてしまうおそれが存する。

3  さらに、退院後の受入れ体制についてみると、前記のように本人には帰住すべき家庭はなく、他に身寄りもない。帰住先として可能な所は、前記○○寮のみであり、退院後の保護環境は甚だ心許ない状況にある。

4  以上の事情を勘案すると、本人の犯罪的傾向は未だ矯正されたものということはできず、また、帰住先として予定されている○○寮は更生保護会であるため、そこへの帰住が認められるためには、仮退院(保護観察付)でなければならないという特別な事情が存する。そして、本人が昭和61年12月上旬に一級上に進級したことからすれば、昭和62年1月下旬に少年院内での処遇過程を修了するものと思われ、その後の保護観察期間として約3か月が必要と考えられるので、本件申請どおり、収容継続の期間は昭和62年4月25日までとすることが相当であると思料する。

よつて、少年院法11条4項、少年審判規則55条により主文のとおり決定する。

(裁判官 和田忠義)

〔参考〕 収容継続申請書

浪少収発第202号

昭和61年10月20日

大阪家庭裁判所堺支部 御中

浪速少年院長○○

収容継続申請書

少年 氏名M・Z

昭和41年9月30日生

上記少年は、昭和60年12月26日、貴支部(裁判官○○)において中等少年院送致の決定を受け、同月27日に当院に入院したものでありますが、下記のとおり収容を継続することが相当と思料されますので、少年院法第11条第2項に基づき申請いたします。

おって、本少年にかかる「少年調査記録」は返還いたします。

1 希望する収容継続の期間

昭和61年12月26日から4月間

2 収容継続を必要とする理由

(1) 生活状況及び処遇経過(別紙「成績経過記録表」の写し参照)

本少年は、入院以来、大きな問題行動や反則は見られなかったものの、消極的、無気力で覇気に欠け、自信をもって自分の意見を主張し、行動することのできない生活を続けていた。

上級生になっても本少年のそのような基本的な態度には変わりがなく、積極的、意欲的な行動がなかなかとれず、障害場面では感情のコントロールができずに自分の考えに固執する面も散見された。

それに対して、本年5月9日から同月15日まで及び同月29日から6月10日までの2度にわたって特別処遇(昼夜間単独処遇)を行い、課題作文、内省指導等を通じて本少年の問題点、改善点への自覚を促した。

その後、ある程度の矯正効果が認められ、積極的、意欲的な行動が徐々にとれるようにはなっているものの、一度挫折すると連続的に生活のペースを見失ってしまう弱さが残っており、出院後においても現在と同様な態度がとれるかどうかには若干不安がある。

(2) 成績状況及び今後の見通し

本少年に対しては、

ア 何事も積極的に取組む態度を身につける。

イ はきはきと自分の意見を述べる態度を身につける。

ウ 板金の資格・技術の取得に励み、健全な職業人としての態度を身につける。

の3項目を個別的処遇計画における教育目標として教育、処遇を行ってきた。

しかし、前述したように、本少年の消極的で覇気に欠ける生活態度は真に改善されたとは認めがたく、本少年の性格特性を考えると、このまま規制の緩む収容期間満了による退院には不安を感じざるをえない。その意味でも、本少年に対しては出院後においても指導、監督を行うなんらかの社会内処遇が必要である。

一方、当院の教育課程履修の面でも、成績が今一歩であるため、本少年の収容の終期である本年12月25日(昭和61年1月8日、少年院法第11条第1項但書により収容継続決定した期日)までには課程のすべてを終了する見込みはなく、このまま順調に成績が推移したとしても、処遇の最高段階である1級上への進級が本年12月上旬であり、その後もなお、2月程度の出院準備教育期間を要するため、出院の時期は概ね明年1月下旬ごろが見込まれる現状である。

(3) 保護環境上の問題点

実父母は少年が3歳の時に離婚。少年は実父に引き取られたが義母と折り合いが悪く、小学校3年頃に実母、義父に引き取られた。しかし、その後、昭和57年に実母が死亡し、翌58年に義父が蒸発した。実父、実兄が神戸市に在住しているらしいが音信はなく、現在は保護者がいない状況である。

しかし、幸い、大阪府下の保護会「○○寮」には受入れ可能となっており、本少年の資質、環境を考えると、現状においては保護会に帰住し、その指導の下で社会生活への復帰を目指すことが本少年にとっては最も良い方法であると思われる。

ところで、本少年の出院が収容期間満了による退院となった場合、保護観察に付されていないため、保護会への帰住は困難となり、少年は適当な帰住先及び引受人がない状態で出院後の社会生活を送っていかなければならなくなる。このような事態の招来は、折角の矯正教育の効果を減殺させるだけでなく、本少年の更生と社会復帰への大きな障害になるといわざるをえない。

以上のような保護環境上の事情からも、本少年の場合、相応の期間、収容を継続し、社会内処遇への円滑な移行のための適当な保護観察期間を確保する必要があると思料する。その際、保護会の指導下で健全な社会生活への定着を図り、その効果をあげるためには少なくとも3月程度の保護観察期間が必要と考える。

3 総合意見

前記各項の諸事情及び別紙「再鑑別結果通知書」(写し)記載の趣意を勘案すると、院法第11条第1項但書に基づく収容期間満了後もなお1月程度の収容教育の期間を要し、これに続く出院後の保護観察期間3月を見込むと、4月程度の収容期間(満了日は昭和62年4月25日)が是非必要である。

4 添付資料

(1) 「再鑑別結果通知書」(写し)・・・別紙1

(2) 「成績経過記録表」(写し)・・.別紙2

(3) 「処遇記録票」(写し)・・・別紙3

(4) 「環境調整報告書(乙)」(写し)(昭和61年3月12日、大阪保護観察所発)・・・・・・別紙4

別紙1

発第×××号

昭和××年×月×日

浪速少年院長○○殿

大阪少年鑑別所長

再鑑別結果通知書

昭和××年×月×日付け貴発第×××号をもって依頼のあった下記の少年についての再鑑別の結果、次のとおり通知します。

1.少年氏名:M・Z

2.生年月日:昭和××年×月×日

3.事件名:建造物侵入、毒劇法、窃盗

再鑑別結果

1.再鑑別実施年月日:昭和××年×月×日

2.再鑑別実施担当者:○○

3.再鑑別実施場所:浪速少年院

4.再鑑別依頼の主眼点:

少年院法第11条第2項に基づく収容継続申請の要否。

5.結果の概要:別紙のとおり。

M・Z 1 院内適応状態面接者とは初対面であるが、表情は柔和で、応接態度も礼節をこころえ、心情の安定を伺わせる。入所して5か月目に生活態度に乱れを生じ単独処遇となったことがあるが、当時は,「やる気がありすぎて、調子に乗ってしまった」と述べるとおり、不適応の結果ではない。成長するにつれて家族関係が悪化しついには崩壊するという、これまでの不遇な成育から、収容のショックを乗り越えられずに、意欲を低下させ、教育の成果が上がらない事態も考えられた少年であるが、これまでのところ、板金の職業訓練も順調に進み、溶接の資格を取得し、その延長上に将来の生活設計を立てており、安定した適応状態と言えよう。

院内生活についても、「対人関係が難しい」「つらい」「早く出たい」等の感想を述べるが、そう言いつつも表情は明るく、これらの感想は一般的な感想の域を出ないものである。むしろ、自分の保護体制の悪さを冷静に受けとめ、保護会に引き取ってもらわねばならないこと、そのためには他の少年より出院が遅くなること、などを十分認識したうえで生活設計をたてている。収容の成果が十分に評価されるべき処遇経過と言える。

2 処遇の指針これまで社会で就労すれば雇い主からはその仕事ぶりを高く評価されてきたように、職業生活の維持力はある少年で、出院後も順調に適応してゆくことが期待される反面、一度ゆきづまると連続的に生活のペースを見失ってゆく弱さも持っている少年である。出院しても帰る家も支える家族もないので、物質的にも精神的にも援助が必要である。帰住地確保のための手続きと、独立して生計を営めるようになるまでの間、支持と援助を与える指導者のもとにおく手続きが望まれる。

別紙2

成績経過記録表

浪速少年院

氏名

M・Z

生年月日

41・9・30生

種別

中等

処遇課程等

職業訓練

分類級

BV

IQ

100

決定年月日

60・12・26

入院日

出院日

60・12・27

在院期間

事件名

窃盗

出院事由

退院、仮退院(その他)

・・

大阪家庭裁判所

支部

裁判官

○○

処遇勧告

なし

大阪少年

鑑別所

保護

観察所

調査官

○○

個人別教育目標

1何事にも積極的に取組む態度を身につける。

2はきはきと自分の意見を述べる態度を身につける。

3板金の資格・技術の取得に励み、健全な職業人としての態度を身につける。

個人別項目に対する評価

段階別到着目標

達成度の評価

新入時

1 無気力な自分の性格を理解し、積極的な行動の大切さがわかる。

2 自分の考えをはっきりと述べることを大切さがわかる。

3 職業訓練に必要な学力・体力の習得に励む。

1 無気力さが改められ、自分から進んで動くことの大切さを知り、積極的な行動が身についてきた。b

2 少しずつだが積極的な面を見せ始め、自分の考えを述べるようになっている。c

3 参加態度も積極的になり、コツコツと地道に取組む姿勢が見についている。b

中間期

1 課題・役割に積極的に取組める。

2 人前で自分の考えをはきはきと発表できる。

3 粘り強く実習に取組み、板金の資格・技術の取得に励む。

出院準備期

1 積極的な行動が常にとれるようになる。

2 常に人前ではきはきと自己主張ができる。

3 健全な職業人として地道に働く習慣を身につける。

共通項目に対する評価

評価項目等

年月日

規範意識

基本的生活態度

学習態度

対人関係

生活設計

進級

その他特記事項(賞・罰、資格取得等)

総合評定

61.2.1

2.17

3.1

4.1

5.1

6.2

7.1

8.1

9.1

10.1

2級上仮進級2級上

1級下

西2寮、板金科、俳句、バレーボールクラブ編入

5/9~5/15昼夜間単独処遇、5/29~6/10昼夜間単独処遇

ガス溶接技能講習修了証、アーク溶接A2F取得勉励賞累計殊遇3点

保護関係

帰住地

引受人氏名 ( )

保護者との関係

出院後の生活設計

総評

今後の留意事項:

別紙3

No.××~××× 氏名M・Z

処遇記録票

院長印

次課長印

月日

記事

記載者印

60

2.27

大阪鑑から入院、二級下、入院時処遇開始

61

1.4

入院時教育課程終了、新入時教育寮編入

1.9

院法11ー1但書による収容継続決定告知

2.17

新入時教育過程終了、2級上仮進級、西2寮

板金科編入、俳句、バレーボールクラブ。

3.1

2級上本進級

5.9

昼夜間単独処遇

5.15

昼夜間単独処遇解除

5.29

昼夜間単独処遇

6.10

昼夜間単独処遇解除

6.27

当日経過通告書送付

7.14

準備面接

8.1

1級下進級

アーク溶接A-2F取得

漢字能力認定書2級取得

ガス溶接技能講習修了証取得

9.1

勉励賞授与(珠算)殊遇点3点

×.×

大阪少鑑○○技官による再鑑別実施

別紙4

環境調整報告書(乙)

※送付

年月日

昭和61年3月12日

※あて先

庁名

本人の氏名

M・Z

本人の所在施設

浪速少年院

年齢

明・大・〈昭〉41年9月30日生

帰住予定先更生保護会の状況等

更生保護会名

代表者の役職・氏名

財団法人○○寮

理事長○○

所在地

泉佐野市○○×丁目×番×号

帰住に関する支障の有無

〈1〉なし

2あり(理由)

釈放時の出迎

1行く(出迎人)

2行かない(理由)

収容状況

収容可能定員 16名 現在収容中の人員 成人 名 少年 12名

釈放後の生計の見込、職業

付設工場に就労させる

調整事項及び調整の結果

特別遵守事項を定めるについての意見

シンナー吸引の厳禁のこと。

寮則、補導職員の指導を守ること。

面会・通信の状況

昭和 年 月 日から昭和 年 月 日まで本人の面会 回

本人からの来信 回

本人への発信 回

昭和61年3月8日 担当者 ○○印

※前回の保護観察、更生保護措置の概要等

昭和61年3月12日 主任官 ○○印

※保護観察所長の意見

受人可能

大阪保護観察所長 ○○

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